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子どもや福祉のこと、世の中の色々について思うこと

障害への正しい向き合い方を考える

障害者について論ずるとき、よく耳にするのが「差別は良くないが、区別は必要だ」という意見です。恐らく、こうした意見の背景にあるのは、障害を抱える子を特別支援学校・学級に通学・通級させたり、就職において障害者雇用枠を設けたりするといったことは「区別」であり、この「区別」によって結果的に障害者自身の人権も守られるのだという考え方ではないかと思います。

僕は障害者を「区別」することには大いに賛成しますし、寧ろ、障害のある子を無理矢理普通校に通わせるような親には怒りさえ覚えます。入試が事実上ボーダーフリーである定時制高校や所謂Fランク大学には明らかに知的障害発達障害のある生徒・学生が一定数存在しますが、本来専門的な支援が必要な子をそうした環境に放り込むことは、障害児教育の専門家ではない現場の教員の負担を増やすだけでなく、本人自身も本来受けるべき支援が十分に得られないというデメリットしかありません。我が子を普通の子と同じように育てたいという親御さんの気持ちはわかりますし、親自身もまた特別支援学校に対する偏見を持っているのかもしれませんが、どうすることが我が子にとってベストな選択なのかということを今一度考えてほしいなとは思います。

まあ、そもそも「差別はいけないが区別は必要だ」というのは最近の世の中においては多くの人が思っていることですし、実際に障害者を家族に抱える人々の多くも理解していることなので、今更こんな誰でも言えるような意見を書く必要はなかったわけですが、実際にはそれがなかなか難しいケースもあるということに最近僕は気づいてしまったわけです。守秘義務があるのでどこでどういう事例に接したということまでは書けませんが、僕が活動しているあらゆるフィールドでそのような事例があったのは事実です。

ちなみにそれらがどういった事例だったかというと、障害が軽度である場合や、障害を抱えているという認定すらされない所謂ボーダーの場合です。発達障害知的障害の定義や分類についてここで詳しく説明することは避けますが、しかし、どこからが障害でどこからが障害ではないのかというのは非常に難しい問題です。従って、軽度の発達障害知的障害を抱えていても普通学校に通っているケースもあれば、その逆もまた然りなのです(就職においても同じことが言えるかもしれません)。その結果どのようなことが起こるかというと、例えば学校でいじめられたり、親からは虐待を受けるかもしれないし、職場では同僚や取引先と頻繁にトラブルを起こして解雇させるかもしれません。周囲とうまくいかないことが原因で非行や犯罪に走ることもあるでしょう。然しながら、明確に「障害者」であると認定されなければ、愛の手帳(自治体によって呼称は違うかもしれません)の交付を受けたり、特別支援学校に入学するという選択に踏み切るのはなかなか難しいだろうなとは思います。特に、本人が基本的には日常生活に支障をきたすことがない程度の能力を持っている場合は、本人がそうした「区別」を拒否することが多いようです。

時代の変化によって、障害への理解や支援に必要な知識や技術は今や就労支援施設や特別支援学校だけでではなく、児童養護施設児童自立支援施設といった児童福祉施設や少年院や刑務所といった刑事施設、そして普通学校においても求められるようになってきていますが、それでも本来障害者支援を専門としない施設や職員が専門的な支援をすることには限界があります。然し、現実にはその限界の中で何とか対応しているケースが後を絶たないというのが現状のようです。僕自身も実習やボランティアでそういった児童・生徒との関わり方に悩むことがよくあるのですが、そのことで相談するとやはり現場の先生や職員さんも同じような悩みを抱えていることが多かったです。自分が出来ることと言えば少しでも多くの知識を得て障害への受容と理解を進めていくことくらいしかないのかもしれませんが、何とかならないものかと悶々としている今日この頃です。