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子どもや福祉のこと、世の中の色々について思うこと

明日の子供たち

最近あまり本を読んでいないのですが、半年くらい前に読んで感想をシェアしようと思ってそのままになっている本があるので今日はその本について書こうと思います。


明日の子供たち | 株式会社 幻冬舎

丁度実習に行く前のタイミングで本屋に平積みされていたので、衝動買いしてそのまま徹夜で読んだ記憶があります。

児童養護施設を舞台にした話と言えば、古くは『タイガーマスク』、最近ではドラマの『明日ママがいない』などが有名だと思います。ちなみに『明日ママがいない』は施設出身者や施設職員からすると有り得ない話ばかりだそうです。実際に僕が児童養護施設で実習をした経験からしてみてもあのドラマはあまりに荒唐無稽だと思います。

『明日の子供たち』は例のドラマを観たとある女子高生からの手紙を読んだ作者が、児童養護施設の子ども達の等身大の姿を世に伝えるために書いた本だそうです。実際に物語の中にもその女子高生をモデルにした人物が登場しています。あらすじについては割愛させてもらいたいのですが、大雑把に言うと新米の職員が子ども達に距離を置かれたり、上司である副園長と対立しながら、徐々に子ども達と心を通わせるようになるというよくありそうな話です。ここから先は僕なりの感想を書いていこうと思います。

まず、基本設定については現実にかなり忠実だと思います。子どもの入所背景(約2/3が虐待や育児放棄によるもの)は勿論、入所したばかりの子どもの試し行動などは現実の通りですし、施設の子は高校生にならないと携帯を持たせてもらえず、料金も自分のバイト代で払わなければならないというのもまさに多くの施設に見られることです。強いて言うならば、『明日の子供たち』に出てくる施設は大舎制といって一つの建物に数十人の子が集団生活をしている、世間一般の人が想像しているような典型的な古い児童養護施設なのですが、最近では小舎制(建物をアパートのような構造にして一つのユニットに8人の児童が暮らす施設)や、グループホーム(普通の一軒家に児童6人が暮らす形態の施設)といったより家庭的な環境に近い施設も増えてきているので、作者の有川さんが取材にいった施設はどちらかというと旧時代的な児童養護施設であるような気はします。

次に、職員と子どもの関係ですが、限りなくヨコの関係に近い施設もあれば、タテの関係に近い施設もあるのでこの辺りは何とも言いにくいです。一般的に、閉鎖的な施設ほど職員が児童に対して縦型の指導を行なっている傾向はあると思いますが。まあ若手の職員ほど子どもと対等な関係を築きやすいとは思いますし(それだけナメられやすいということにもなりますが)、ベテランの職員には子どもの方も逆らいにくいのではないかと思います。職員同士の力関係を子ども達はちゃんと把握していますしね。ただ、この本を読んでいて少し疑問に思ったのは、施設の子は現実にはそこまで大人びてはいない気がするという点です。勿論、相手の腹を探るのが上手い子もいなくはないですが、実際には普通の子よりも情緒面の発達が遅れている子が多いです。「普通の家庭」を経験していない子は、施設に入った当初は人との距離感の取り方や感情調節、基本的な生活習慣などが全く身についていませんし、高校生くらいになってもそれらが上手くできない子は沢山います。この物語に出てくる高校生のように、相手の心の機微を汲み取ったり、言葉の裏を読んだりできるような子はそうそういません。まあこの辺りは小説なのでしょうがないと言えばしょうがないわけですが。

ここまで書いてみて、感想と言うよりは、実際の児童養護施設と作中の描写を比較してツッコミを入れていただけになってしまった気はするのですが、有川さんがこの本の中で伝えたい「児童養護施設とそこで暮らす子ども達が抱える問題」というのは僕が考えているものと一致すると思います。それは何かというと、施設で育った子どもは18歳で自立をせざるを得ないという現実の中で、進学を選ぶにせよ就職を選ぶにせよ、子ども達を取り巻く現実は大変厳しいということです。

言うまでもないことですが、進学にはお金がかかります。そして、帰る家のない子は家賃も自分の力で稼がなければなりません。実際には7~8割の児童の親のどちらかは存命であることが多いのですが、実家に戻ったところで、学費を出してくれるどころかバイト代や給料を搾取されるのは目に見えています。そのような事情もあり、施設を出た児童の8割は高校卒業後にそのまま就職することが多いです。とはいえ、施設出身者の就職後の離職率は3年で7割近くに昇っており、就職したからといってうまくいくわけでもないようです。


自立支援の難しさ | Bridge For Smile(ブリッジフォースマイル)

上のリンクにもあるように、帰れる家が無く、信用できる大人や相談相手がいない中で自分一人で生きていくという状況は18歳の子にとってはあまりに過酷だと思います。ましてや、何年も施設で暮らしてきて、家庭で育った子よりも限られた経験や価値観しか持たない子がいきなり社会に出てもすぐに荒波に飲み込まれてしまうであろうことは想像に難くありません。そうして社会からドロップアウトしてしまった元養護児童の中にはホームレスになったり風俗で働くことになってしまう子もいるようです。

こうした問題を解決する為にはやはり家庭的な環境で育つことが必要だということで、里親委託の拡大を目指す動きがあるわけですが、里親に支援金が出るのは里子が18歳になるまでなので、養育家庭を増やしたところで社会的養護児童の自立に関する問題が根本的に解決するわけではない気はします。勿論、養育家庭には児童養護施設にないメリットがあるのも確かですが…。

自立と言う出口の問題へのアプローチとしては、養護児童向けのシェアハウスやBridge for smile(B4S)などのNPOによる支援活動が現時点では比較的うまく機能しているように感じます。僕もB4Sのカナエールというスピーチコンテストに観覧者として参加したことがありますが、聴衆に自分の想いを自分の言葉で伝えることによって募金と言う形で奨学金を集めるシステムは、今までの「おこぼれ」的な支援とは一線を画する画期的な支援のあり方だと思います。

社会的養護児童が多くの課題を抱え、「支援」を必要としているのは紛れもない事実ではありますが、僕たちが間違えてはいけないのは、彼らは決して「かわいそう」な子ども達ではないということです。自分の置かれた厳しい環境の中で未来を自力で切り拓いていく為に頑張っている子ども達を「かわいそう」と形容するのはあまりにも失礼なことではないでしょうか。僕たちができることは彼らに対する「同情」や「憐憫」ではなく、人生における様々な困難や悲しみを共有し、そして喜びや幸せを共に求める「仲間」として、一緒に手を握り合って生きていこうという「共感」ではないかと僕は思います。