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子どもや福祉のこと、世の中の色々について思うこと

差別と偏見

世間ではチョコレートの販促キャンペーンが盛んに行われている今日この頃ですが、チョコレートを食べると太るしニキビができるので僕はいりません。それはさておき、最近気になったニュースが2つほどあったので、言及したいと思います。
まず1つ目。渋谷区で同性愛カップルに結婚並み証明書が発行されるようになったそうです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015021202000140.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015021202000140.html
これは良い試みだと思います。日本でもLGBTへの理解が少しずつ進んではきましたが、依然として同性愛者への偏見は残っており、多くの場合「オカマ」や「ホモ」という言葉は侮蔑の意味を込めて使われています。特に同性愛者への差別意識は年代に比例して高くなっているようです。一方で、近年では日本における若者の同性愛への寛容度は先進国の中でも高めになってきているようです。
http://tmaita77.blogspot.jp/2015/02/blog-post_15.html
データえっせい: 同性愛への寛容度の国際比較
恐らく、LGBTへの理解が進んだというよりは、他人の価値観に干渉するべきでないという考え方が一般的になったという消極的な寛容性が高まった結果なのでしょうが、悪い傾向ではないでしょう。理解してくれと一方的に押しつけるのも考え物ですし、LGBT運動がそうした「理解の押しつけ」をしなかったことが却って良い結果を生んだのかもしれません。
一方で、こんな出来事もありました。曽野綾子氏コラムに「アパルトヘイトを賛美し、首相に恥をかかせる」海外メディア報じる
安倍首相がこの一件を「恥」と思うかどうかは別として、僕は同じ日本人として恥ずかしいことだと思います。とはいえ、このような考え方の大人は意外と多い気がします。50代以上で且つ教育レベルがあまり高くない人々には部落差別や在日差別、同性愛者差別を是とする風潮が依然としてありますし、うちの母や祖父母などはまさにそういう考えの人達でした。僕も母に「同和地区出身者とだけは結婚するな」と言われたことが何度かありますし、在日韓国人の友人の話をすると大抵渋い顔をされました。
僕は差別を是としませんし、差別的な発言には必ず反論するようにしていますが、世代によって育った時代背景や価値観が異なるのもまた事実であり、ただ単に「差別はやめましょう」と言ったところでそう簡単に差別意識と言うのは消えないものです。というのも、差別が今よりも激しかった時代には、被差別者の置かれている環境は当然今よりも劣悪で、人々から奇異な目で見られるようなことをしたり、犯罪を犯したりする人も今よりは多かったからです。実際に、高度経済成長期には朝鮮学校の生徒が近所の中高生をカツアゲしたり、同和関係者が恐喝行為を起こすということが実際に行われていたようです。なので、この時代に育った人は、どんなに差別が悪だと頭では理解しても、根底には差別意識がいつまでも残り続けるのだろうと思います。また、この時代においては、被差別者自身が発信の仕方を誤った結果、自ら差別を助長してしまった部分もあったのかもしれません。受容や理解を押しつけたところで、相手からは反感を買うだけですしね。
差別や偏見の解消にあたって一番重要なことは、結局のところ、お互いの価値観を相手に押しつけない、即ち相手の身になって考えることなのではないかと思います。相手がどんな気持ちで生きてきたのかということがわかれば、自然と相手を受け入れられるようになるのではないでしょうか。