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子どもや福祉のこと、世の中の色々について思うこと

角筈にて

最近、一日中何もやる気が起きず、夜寝る前になると自己嫌悪で眠れなくなるという日々が続いています。こうして時間だけが無駄に過ぎていきますね。
さて、久しぶりにブックレビューを書こうかなと思います。まあブックレビューという程のものでもなく、短編小説を1つ紹介しつつ僕の感想を書き連ねるだけではありますが。www.amazon.co.jp
今回僕が扱うのは、『鉄道員』ではなく、この本に収録されている『角筈にて』という短編です。角筈というのは、かつて新宿区(昭和22年までは淀橋区)にあった地名で、今の西新宿と歌舞伎町の一部、つまり新宿駅近辺一帯に付けられていた地名のようです。数年前に一度ドラマ化したことがあり、公式サイトがまだ残っているので、あらすじをサイトから引用します。www.bs-j.co.jp

貫井恭一49歳。東大を卒業し、一流商社に就職、一貫してエリートの道を歩んできた彼には大きな転機が訪れようとしていた。上司が派閥抗争に破れ退陣を余儀なくされたのに伴い、腹心の恭一もブラジルへの左遷が決まってしまう。役員昇進を目前にしての仕事で挫折。恭一の身の上を案じる部下たちと酒を飲んでの帰り、恭一は若いころに通いつめた角筈ゴールデン街に1人、立ち寄る。午前1時を回り表に出ると、目の前を女子高生が中年サラリーマンと連れ立ってラブホテルに入っていくところを目撃してしまう。通勤時に見かける女子高生、未来の後を慌てて追いかけた恭一は、彼女の父親だと偽り寸前のところで援助交際をやめさせるが、未来には理解されない。実は恭一のこの行動には理由があった。
またいとこの久美子と結婚したものの、父親になる自信を持てずにいた恭一は、若さや仕事を理由にせっかく授かった子どもを中絶させてしまう。この時のことが原因で恭一夫婦は二度と子どもを持つことが出来なくなった。「もし、あの時の子どもが生まれていたら、丁度彼女ぐらいだろう…」そんな思いで恭一は未来を眺めていたのである。
父親になることを拒否してしまった恭一には、忘れたくても忘れることのできない過去があった。42年前、恭一8歳の夏。新宿・角筈のバス停で父に捨てられてしまう。母方の伯父一家に家族同様に迎えられた恭一だったが、諦めながらも心のどこかで父親が迎えに来てくれることを信じていた。しかし、いっこうに現れない父…。自分の家の表札の横に「貫井恭一」という手作りの表札を掲げてくれた伯父。東大の合格発表の時には、家族総出で本郷に来てくれた。そんな温かさの中で育ちながらも恭一は「父に捨てられた」という心の傷を持ち続けていたのである。出世が決まった同期・安岡と新宿で飲んだ帰り道、恭一は人ごみの中に「父」を見かける。慌てて追いかけるが、見失ってしまった。様々な思いが恭一の胸をよぎる…。帰宅し、早速久美子に報告するが「錯覚よ」との返事。恭一自身も長い月日が経っているため、確信が持てない。しかし、これをきっかけに恭一はそれまでの自分を振り返り始める。
そしてブラジルに旅立つ日。成田に向かう途中で立ち寄った新宿・花園神社の境内で、遂に父と出会う恭一。その父の姿は…。

この物語の主人公である恭一は父子家庭で育ち、その実父からも捨てられたわけですが、そうした逆境を乗り越えてエリート街道を歩んできたという点に関しては現代ではおよそ考えられないことだろうと思います。育ててくれた伯父夫婦も決して裕福ではなさそうですしね。勿論、あくまで小説ですし、この時代の方が格差や貧困は激しかったのも事実ですが、こうした「叩き上げのエリート」が社会に一定数存在する時代であったのも確かでしょう。現代の貧困家庭や社会的養護下の児童が置かれている状況を鑑みると、どん底から這い上がるだけのモチベーションはこの時代の方が生まれやすかったのかもしれません。また、父親になる自信がなくて妻である久美子を堕胎させた場面では、恭一の上昇志向の裏にある「捨て子であることへの劣等感」が顕著に現れているように思われます。恭一は伯父一家で家族同然に温かく迎えられましたが、伯父が敢えて恭一の姓を変えさせずにいたことで恭一は「父親がいつか迎えに来てくれるかもしれない」というかすかな期待を終生持ち続けることになったのではないかと思います。あらすじには「恭一は「父に捨てられた」という心の傷を持ち続けていたのである。」と書かれていますが、伯父が恭一を貫井姓のままで居させたことは、恭一を傷つけまいという伯父の優しさだったのではないでしょうか。
今でいえば、この伯父夫婦は「親族里親」であり(勿論この当時は手当などもらっていないでしょうが)、厳密に言えば「養親」ではないというのが、里親制度と結びつけて語る上での一つのポイントです。里親は、補助金を貰いながら里子を戸籍に入れることなく18歳まで育てることになっており、児童養護施設と共に社会的養護の一翼を担っています。一方で、養親は子どもを養子として戸籍に迎え入れ、名実ともに一生我が子として育てるのが前提です(里親と違って補助金は出ません)。里親制度と養子縁組制度のどちらが優れているのかというのはまさにケース・バイ・ケースではあるのですが、子どもが実親のことを覚えており、「いつか実親が迎えに来てくれる」という期待感を持っている限りは、実親以外の養護者を親として認めることは難しいのかもしれません(ステップファミリーで育った僕自身もそうです)。捨てられたり、虐待を受けたりしても、実親への思いというのはなかなか断ち切れないものです。子は親を選べませんからね。
最近、家族のあり方について考えることが多く、ついつい社会的養護と絡めて語ってしまいましたが、個人的には『鉄道員』よりも心に響いた作品なので、皆さん是非読んでみて下さい。