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子どもや福祉のこと、世の中の色々について思うこと

言葉に追いつく

お久しぶりです。週1で更新しようと思いつつ、放置気味です。読んでくれている人がどれくらいいるのかはわかりませんが、今後もマイペースで更新を続けていこうと思います。

最近はバイトと公務員試験の勉強に追われ(といってもあまり手がついていませんが)、カタリバの企画や更生保護ボランティアの活動にあまり参加できていないのが何とももどかしいですが、その分周囲の人々や自分自身に向き合う時間をなるべく多くとろうとは努力しています。僕はこう見えても人の話を聞くのが割と好きで(聞き上手かどうかは別として)、友人や後輩の相談に乗らせてもらうこともたまにあります。その中で、僕はただ単に話を聞くだけではなく、自分の数少ない経験や知識を踏まえてフィードバックをすることを心掛けています。

勿論、そのフィードバックはあくまで僕の個人的意見でしかないので、参考程度に留めてもらった上で最終的には本人が自分で納得のいく結論を出してほしいとは思うのですが、それでも僕が敢えて他者にフィードバックをするのには理由があります。それは、そのフィードバックは目の前にいる相手だけでなく、自分自身にも向けられるものだからです。

思いを言葉にして他者にぶつけた以上、自分自身もその思いを体現出来ていなければ説得力がない。故に、他者にフィードバックする以上は自分自身もその言葉に追いついていなければならないのです。だからこそ僕は、「言葉に追いつく」というプロセスを経て自分自身も成長できるようにする為に、敢えて他者に時には厳しいフィードバックをするのです。

ちなみに、この「言葉に追いつく」という表現は、僕が学生職員になった時にもらった『カタリバの約束』というカードに書いてあった言葉なのですが、他者の成長を通じて自分自身の成長に繋げることが出来る魔法の言葉だなと僕は感じています。

言っていることとやっていることが違う、「言葉に追いついていない」大人が多い世の中ではありますが、僕はこれから社会人として生きていく中でも常に「言葉に追いつく」ことを大切にしていきたいと思っています。

先輩の話

カタリバの授業では、スケッチブックを使って大学生や社会人の「先輩」が15分間で自分の経験を交えながら(時には泣きながら)熱く語り、高校生に対してメッセージを伝える時間があります。生徒向けには「先輩の話」として案内されますが、カタリバ内では「サンプリング」と呼ばれています。

カタリバそのものについてはググって調べて頂きたいのですが、キャスト(カタリバではボランティアスタッフのことをそう呼ぶ)である僕は一応サンプリングを持っており、今まで十数校の高校・大学で「先輩の話」をしたことがあります。僕の話は要約すると以下のような話です。

小学校~中学校時代 

運動が苦手でいつも周囲からバカにされていた。人の輪に入ったり空気を読んだりすることが苦手で、友達は少なかった。家庭環境もあまり良くはなく、母と再婚相手の義父は常に仲が悪かった。単に仲が悪いだけでなく、母はDVを受けていた。自分は直接暴力を受けることはなかったが、貯金を勝手に使われたり、理不尽なことで脅されたりすることが多かった。こんな大人にだけはなるなと母は言った。

自分に自信が持てず将来の夢も無かったが、周囲のバカな大人たちを反面教師と捉え、勉強だけは頑張った。バカにしてきた奴らを将来見返してやろうという思いもあった。

高校時代

努力の甲斐もあり、第一志望の高校に合格することができた。しかし、入学当初から成績は振るわず、1年生の終わり頃から卒業までは常に学年で下位5%以内だった。小中に比べると人間関係は良好であったが、恵まれた家庭に生まれ育った人が多い学校だったので、自分が通った公立小中学校に比べて感情調節が上手な人間が多いのは当然と言えば当然だった。スポーツの中で水泳だけは唯一人並みには出来たので水泳部に入ったが、部内では最下位だった。勉強もスポーツもできないリアルのび太君状態であった点では、小中学校よりも酷い状況だった。しかも、周りには小中学校受験を経験したエリートや親が大企業に勤めているような富裕層が多く、高校に入るまでの向上心は次第に消え失せ、その代わりに「どうせ自分のような貧乏人は偉くはなれないのだ」という諦めの気持ちの方が大きくなっていった。高2以降は出席日数はギリギリ、追試の常習犯というお荷物生徒でしかなく、授業中にわざと僕だけ当てないようにする先生もいた。

高校卒業後

プライドだけは高かったので、旧帝大早慶と言った有名大学のみを受験するも全敗。勉強に対するモチベーションは相変わらず低かったので、周囲には「浪人して頑張っている」と嘯き、実際にはニート同然の生活を送っていた。第一志望の高校に合格したという過去の(唯一の)成功体験にすがり、「自分は本当は出来る人間なんだ」と思い込んでいたが、如何せん成功体験がそれ以外には皆無で、努力をする習慣がほとんど無かった為に結局現状を変えることは出来なかった。

この時期に一番辛かったことは成人式に行けなかったことである。周りは皆、大学生活を謳歌したり就職して一生懸命働いている中、自分は何と情けない生活をしているのだろうか。自分のような穀潰しは粗大ゴミ同然だ。いや、ゴミはリサイクルできるが、二酸化炭素とウンコを排出する存在でしかない自分はゴミ以下であり、最早死んだ方がマシなのだ。そう思った僕は、毎日のように自殺の方法をネットで調べた。しかし、どんな方法でも「最後は苦しむ」と書いてあり、怖くて死ぬことが出来なかった。練炭自殺のサークルに入ろうと考えたこともあったが、そういったサークルに入るだけのコミュ力が無かった。つまり、自分は死ぬ勇気すらない人間なのだ。自分のことが本当に情けなく思えてきた。

だが、どうせ死ぬことすら出来ないなら答えは一つだ。生きるしかないのである。世の中には生きたくても生きられない人が沢山いる。生きることは権利ではない。義務なのだ。そして、どうせ生きるのなら、生きたくても生きることが出来ない人を救うために生きよう。死のうと思ったことのある自分だからこそ、与えられた人生をその為に使いたい。そう思った僕は医学部を目指すことにした。うちには金がないので勿論、国公立しか受けられなかったが、猛勉強を始めることにした。失敗しても命までは取られないのだから、挑戦してみようと思った。

勉強の甲斐もあって成績は伸びてきたが、医学部の壁は高かった。ついに合格することは出来なかった。でも、この時の自分は「頑張った」と胸を張って言うことができた。医学部には入れなかったが、「人の命を救うことは医者ではなくても出来る」と思い、別の学部で福祉の勉強をすることにした。

大学時代~現在

大学ではボランティアサークルに入った。今まで遠回りをして周囲に迷惑や心配をかけてきた自分はこれから人の役に立って社会に恩返しをしていかなければと思ったからだ。山谷という貧民街でホームレスの人々と「共同炊事」を行なったり、障害のある子の保育ボランティアをしたり、元非行少年に勉強を教えたりと、様々な活動をした。ただ、やっているうちに「自分は本当に人の役に立っているのだろうか」「ただの自己満足なのではないか」と思うようになってしまったのも事実である。「結局自分は役立たずのデクノボーなのではないか」と段々感じるようになった。

そんなある日、少年から「次はいつ来てくれるんですか!先生が来るようになってから勉強が楽しいです!」と言われた。保育をしている子のお母さんからも「この子は何も感じないように見えるけど、実は遊んでもらってすごく喜んでいるのですよ」と言ってもらえた。「自分のしていることは全く無駄ではないのだな」と少しづつ思えるようになってきた。

それからも僕はボランティアサークルやNPOで積極的に活動し、重要な役職やリーダーに就くようになった。責任のある立場になると周囲の仲間をまとめたり、難しい仕事を任されたりすることも多くなった。確かに大変だが、しかし昔の自分と比べるとかなり自信が湧いてきたように思う。これからの人生で失敗することも沢山あるかもしれないが、今の自分にとって失敗はそんなに怖いことではない。

昔の僕は、自分に自信が全く持てなかった。自信がないから、失敗するのが怖いから、「どうせ自分になんか」と思っていたから努力や挑戦をすることから逃げてきた。でも今の自分は違う。頑張っても挫折したりうまくいかなかったりしたこともあったけど、でも諦めなかった。その結果、今では周りから頼りにされたり、責任のある仕事をさせてもらえるようになった。人は変われるんだ。夢が叶うとは限らないし多分叶わないことの方が多いけど、それでも何かを諦めずに頑張れば人生はきっといい方向に向かうはず。だから皆も英単語を覚えるとか、部活を頑張るとか、バイトを頑張るとか何でもいいから少しづつ頑張ってみよう。夢を諦めることはあっても自分を諦めないでほしい。


最後の方は熱いメッセージが並べられていますが、実際には僕はそこまで熱い人間ではありません。ただ、この「先輩の話」を聞いて涙を流してくれる生徒も中にはいます。僕自身は進学校出身ですが、何故か定時制高校でこの話をさせてもらうことが多いです。

僕がカタリバに来て初めて「先輩の話」を聞いたとき、「自分にはこんな話できないな…」と思いました。当時の僕は自分には熱く語れることなど何もないと思っていたのです。しかし、これだけ遠回りや挫折をしておいてただの失敗体験で終わらせるのも勿体無いと思っていたのも事実でした。最初は伝えたいことをうまくまとめることができず、結局15分の話を完成させるまでに半年もかかってしまったわけですが、昨年12月に僕がコアスタッフ(企画副リーダー)を務めた定時制高校企画で初めてこの話を披露することになりました。生徒の反応は意外と良く、障害を抱える高校生が熱く感想を語ってくれたことを今でも覚えています。

僕はこの「先輩の話」を作って本当に良かったと思います。下手な就活セミナーの自己分析ワークの何百倍も徹底的に自分と向き合う経験が出来ました。カタリバでは「目の前の生徒にいかに本気で向き合うか」ということが常に問われていますが、他人と向き合う前にまず自分と本気で向き合ってみることが重要だと僕はサンプリングを作って痛感しています。残念ながらまだ自分としっかり向き合えていないキャストも少なからず存在しているわけですが、その話はまた後日書こうと思います。

根拠のない自信

たまたまFacebookでシェアされていたブログの記事でこのようなものがありました。


エリートの強みは「根拠のない自信」 : 人類応援ブログ

記事を要約すると、

所謂エリートは「根拠のない自信」を持ち続けた結果、そのポジティブシンキングが次々に成功をもたらし、自信がない人は挑戦することもなければ、ちょっとした挫折で心が折れてしまうので社会からドロップアウトしやすい。

というところでしょうか。

僕はこの筆者の意見には半分は賛同します。というのも成功者になれるかなれないかというのは、確実に自信の有無が関係してくるからです。僕は某教育系NPOでボランティアスタッフ及び事務局インターンをしたり、塾講師のアルバイトや施設での学習ボランティアをしたりして様々な中高生と関わってきましたが、偏差値下位校や低所得層の生徒と話す中でいつも感じるのは、生まれ育った環境や社会がいかに本人の努力に対するモチベーションに影響するかということです。

親の収入や学歴、教育に対する意識、はたまたスクールカーストにおける自分の位置などといった「スペック」が本人の努力に対するモチベーションに影響し、その結果成長するにつれてますます成功者とそうでない人との格差が拡大することはやはり少なくないでしょう。

然しながら、ここで一つ注意したいのが、成功者の持つ自信が本当に「根拠のない自信」なのかということです。確かに、裕福な家庭に生まれ、感情調節がうまくいっている家族に囲まれ、高いレベルの教育を受けてきたような人々がそうでない人々に比べて自信を持って生きていることが多いのは事実でしょう。とは言え、その自信はいずれも「自分はお金の心配をする必要がないから色々挑戦してみよう」とか「自分は難関の●●高校に通っているのだからこれくらいの努力をすれば東大に入れるだろう」といった「根拠のある自信」ではないでしょうか。勿論、こうした根拠のある自信は子どもの頃から努力を積み重ねていけるだけの環境が整っており、その結果成功経験を重ねてこられたからこそ生まれるものだとは思いますが。

とはいえ、「根拠のない自信」を持って生きている人も一定の成功をすることは可能かもしれません。はったりをかましておけば、バカとお人よしは騙せますからね。でも、多くの場合、それは長続きしないでしょう。「根拠のない自信」を持っていて途中まである程度成功したものの、最終的に足元をすくわれて破滅に至った例としては、小保方晴子氏などが挙げられるでしょう。彼女はAO入試早稲田大学理工学部に入学し、理研に研究員として就職するという「エリート街道」を歩んできたわけですが、恐らく彼女には努力量に見合わぬ成功経験が何度かあって「根拠のない自信」が増幅した結果、STAP騒動を起こしてしまったのではないかと思います。詐欺まがいの商法で急成長した会社が必ず倒産するのも「根拠のない自信」による破滅の典型例と言えるでしょう。

というわけで、成功に必要な条件は「根拠のある自信」であって、筆者の言う「根拠のない自信」ではないというのがこの記事に対する僕の反論です。ちなみに僕自身も「根拠のない自信」を持ち続けた結果、大失敗をした経験がありますがそれについてはまた後ほど書こうと思います。

障害への正しい向き合い方を考える

障害者について論ずるとき、よく耳にするのが「差別は良くないが、区別は必要だ」という意見です。恐らく、こうした意見の背景にあるのは、障害を抱える子を特別支援学校・学級に通学・通級させたり、就職において障害者雇用枠を設けたりするといったことは「区別」であり、この「区別」によって結果的に障害者自身の人権も守られるのだという考え方ではないかと思います。

僕は障害者を「区別」することには大いに賛成しますし、寧ろ、障害のある子を無理矢理普通校に通わせるような親には怒りさえ覚えます。入試が事実上ボーダーフリーである定時制高校や所謂Fランク大学には明らかに知的障害発達障害のある生徒・学生が一定数存在しますが、本来専門的な支援が必要な子をそうした環境に放り込むことは、障害児教育の専門家ではない現場の教員の負担を増やすだけでなく、本人自身も本来受けるべき支援が十分に得られないというデメリットしかありません。我が子を普通の子と同じように育てたいという親御さんの気持ちはわかりますし、親自身もまた特別支援学校に対する偏見を持っているのかもしれませんが、どうすることが我が子にとってベストな選択なのかということを今一度考えてほしいなとは思います。

まあ、そもそも「差別はいけないが区別は必要だ」というのは最近の世の中においては多くの人が思っていることですし、実際に障害者を家族に抱える人々の多くも理解していることなので、今更こんな誰でも言えるような意見を書く必要はなかったわけですが、実際にはそれがなかなか難しいケースもあるということに最近僕は気づいてしまったわけです。守秘義務があるのでどこでどういう事例に接したということまでは書けませんが、僕が活動しているあらゆるフィールドでそのような事例があったのは事実です。

ちなみにそれらがどういった事例だったかというと、障害が軽度である場合や、障害を抱えているという認定すらされない所謂ボーダーの場合です。発達障害知的障害の定義や分類についてここで詳しく説明することは避けますが、しかし、どこからが障害でどこからが障害ではないのかというのは非常に難しい問題です。従って、軽度の発達障害知的障害を抱えていても普通学校に通っているケースもあれば、その逆もまた然りなのです(就職においても同じことが言えるかもしれません)。その結果どのようなことが起こるかというと、例えば学校でいじめられたり、親からは虐待を受けるかもしれないし、職場では同僚や取引先と頻繁にトラブルを起こして解雇させるかもしれません。周囲とうまくいかないことが原因で非行や犯罪に走ることもあるでしょう。然しながら、明確に「障害者」であると認定されなければ、愛の手帳(自治体によって呼称は違うかもしれません)の交付を受けたり、特別支援学校に入学するという選択に踏み切るのはなかなか難しいだろうなとは思います。特に、本人が基本的には日常生活に支障をきたすことがない程度の能力を持っている場合は、本人がそうした「区別」を拒否することが多いようです。

時代の変化によって、障害への理解や支援に必要な知識や技術は今や就労支援施設や特別支援学校だけでではなく、児童養護施設児童自立支援施設といった児童福祉施設や少年院や刑務所といった刑事施設、そして普通学校においても求められるようになってきていますが、それでも本来障害者支援を専門としない施設や職員が専門的な支援をすることには限界があります。然し、現実にはその限界の中で何とか対応しているケースが後を絶たないというのが現状のようです。僕自身も実習やボランティアでそういった児童・生徒との関わり方に悩むことがよくあるのですが、そのことで相談するとやはり現場の先生や職員さんも同じような悩みを抱えていることが多かったです。自分が出来ることと言えば少しでも多くの知識を得て障害への受容と理解を進めていくことくらいしかないのかもしれませんが、何とかならないものかと悶々としている今日この頃です。