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子どもや福祉のこと、世の中の色々について思うこと

会話における思わぬ地雷

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

さて、今日はコミュニケーションの基礎である「会話」における難しさについて考えてみました。

僕は人と話すのが嫌いではないし、話を聞くのは好きなのですが、実際に他者と会話をするのはなかなかエネルギーを使うものです。僕にはこれといった趣味がなく、テレビもほとんど観ないので共通の話題が無い人とは何を話せばいいのかわからなくなることがよくあります。他者との関係構築においては自己開示が重要であるとはよく言われますが、自分の情報について延々と語ったところで必ずしも相手とのラポールが形成させるわけではないのもまた事実です。ヤンチャそうな男子高校生や男子大学生なら下ネタをぶっこんでおけば何とかなることも少なくはないのですが、大人しめの中高生や女の子とアイスブレイクをするのは結構難しいです。それでも、たまたま好きな漫画や音楽が被ることがあって話が盛り上がることは無きにしもあらずではありますが…。

まあ何にせよ、アイスブレイクの難しさに関してはどうしようもない部分が大きいので、実際に他人と会話をする上で自分が気をつけていることについて書こうと思います。
世間一般で会話におけるタブーとされている話題は政治や宗教、学歴に関する話題であるとされていますが、仲の良い友人同士であればその手の話題は日常的に出てくるので相手によると言えるでしょう。
他には、経済状況や容姿、家庭のことなどもこちらから聞くのは憚られる話題ではあります。実際にこの手の話題はかなり仲の良い友人でも突っ込んではいけない場合が多々あると思います。就職の面接でも家族構成は聞いてはいけないことになっていますしね(実際には平気で聞いてくる企業もあるようですが)。

実際に会話をする中で「君の家の年収はいくら?」とか「髪が薄いですね」などと言ってくる人間がいたら相当不愉快ですし、普通の人はまずそういうことを直接聞いては来ないのですが、間接的に地雷を踏んでくる人間はたまにいるし、もしかしたら自分もそういった地雷を良く踏んでいるのかもしれません。
例えば、僕の苗字は比較的珍しいので年配の人から「お父さんはどちらの出身?」と聞かれることが多いのですが、僕はこういう質問をされるのが結構不愉快です。自分の苗字は母が再婚相手である義父の姓であり、そして僕は義父のことを父親だと思っていないので、そもそも自分の苗字の話題を出されること自体が嫌なのです。もっと言うと、もし僕が里親家庭や児童養護施設の出身だったらその質問をしてきた人はどうするつもりなんだろうと思います。勿論、その質問をしてきた人には悪意はないし、その世代の人間にとっては実の父親の苗字を名乗ることは当たり前のことなので、しょうがないことではあるのですが。
また、僕も今まで全く気づかなかったことではあるのですが、ゲイやレズビアンの人にとって「彼氏(彼女)はいないの?」という質問は大変傷つくものらしいです。パートナーは異性であることを前提とした質問は同性愛者の存在を否定するものであるからだそうです。僕はこの話を聞いて、自分にとっての当たり前を無意識に他人に押しつけてはいないかと深く考えさせられました。こういう場合には「付き合っている人はいないの?」と聞くのがベストだったのかもしれません。

このように、自分は自分なりの常識の範囲で話題を選んでいるつもりでも、その常識を無意識に相手に押しつけてしまったばかりに「地雷」を踏んでしまうということがあります。そして、地雷を踏んでしまったばかりに苦労して築いたラポールが一瞬にして壊れてしまうことも少なくないのだろうと思います。だからこそ、他者と関わる際には常識や場の空気を考慮するだけでなく相手の身になって話題を選ぶことが大事なのだろうと思います。自分も気をつけないと…。